東日本大震災発生から100日目となりました。
あの大惨事から、もう100日も経ったんですね。
私の家は、幸いにも地震の被害はありませんでした。
部屋の中は、いろいろと物が落ちたりして、壊れたり傷ついたりしたものはありましたが、その程度で済みました。
海からは離れていますので、津波とは無関係で、助かりました。
ただ、ライフライン断絶と食料不足には辛い思いをしました。
電気の回復は約4日後、
水道の回復は約2週間後(3月末)、
都市ガスの回復は1ヶ月強後(4月末)でした。
電気が回復するまで、室内で外出するような服を着て過ごしました。
ストーブがファンヒーターのみでしたので、暖房が無かったからです。
寝るときも厚着をしました。
暗くなって7時過ぎると就寝してしまう生活でした。
ラジオと電池があったので、ラジオのニュースを聞いていました。
新聞は来ないし、電話は切れているし、映像が無いので、大震災と大津波の被害状況がピンと来ませんでした。
水は毎日近所の私立明成高校へもらいに行っていました。
本当に有り難かった。感謝しています。
「2000年問題」の備えで1999年に買って、使っていなかったポリタンクが大活躍しました。
助かりました。
ガスの回復が遅れましたが、我が家には電気温水器がありますので、水道回復後はシャワーを浴びることが出来ました。
約2週間もカラダを洗えなかったのは、生まれて初めてでした。
スーパーへ行けば長蛇の列。
しかし店にはろくな物が売っていない状態。
店内は壊れていて入れず、寒い店頭での販売でした。
価格は高い。
野菜も米も無い。
しかし、幸い、地震前に買物をしていたので、多少の蓄えがありました。
「2000年問題」の備えで1999年に買って、使っていなかったカセットコンロも大活躍しました。
助かりました。
これを使って炊事が出来ました。
ご飯も炊きました。
水が限られているので、出来るだけ食器を汚さないようにしました。
ガソリン不足で、ほとんど手に入らない状況が続きましたが、これも幸いな事に、大震災発生した日の午前中に「満タン」にしていたのです。
助かりました。
客観的に見ると、非常にひもじくて惨めな状況ですが、なぜか気持ちは安定していました。
家族が生きているからでしょう。
私は憑いていました。
幸運でした。
大震災と大津波で何万人も亡くなっているのですから。
あまり思い出したくないのですが、100日経ったので書いてみました。
この件での個人的な事は、もう書かないと思います。
今回の書き込みの修正はするかもしれませんが。